人間って背骨があるからね、しっかり立ってられるんです。
他の動物ってあんまり、直立で歩けないんですよ。
人間だけは直立して歩けるんだけど、この、背骨がね曲がるんですよ。
具合が悪くなると背骨が曲がってくるんですね。
何番目の背骨が曲がると、胃が悪いとか、肝臓が悪くなると何番目だとか、決まりがあるんですよ。
カイロプラクティック・オステオパシーとかっていう、技法は、骨をね、調整する。俗に云うカイロってやつだね。
それをややるとね、非常に身体の具合ががよくなるんです。
酷くなってくっと、脊髄湾曲症なんて、こう曲がってきちゃったりね、いろいろあるんですけどね。
で、これがですね、奇跡的に直る方法があるんです。
誰がやっても直るんです。
それは、「我は神なり愛と光なり」って言うんです。
10回か20回言うんです。
「我は神なり愛と光なり我は神なり愛と光なり」って言うとこう、身体からサーッと力が抜けるんです。
力が抜けると、筋肉の硬直がとれると骨がまっすぐに、こうなるんです。
誰がやってもなるんです。
不思議でしょ?
「自分は神なんだ」っていうことを言うとね、身体がね、こう柔らかくなるんですよ。
ところが、自分ひとりで頑張んなきゃいけないだとか、要するに、自分にあんまりにも頼りすぎちゃって、自分が自分が、っていうのは『我』なんですよ。
我が我がの我が強くなってくると、脊髄に、まわりが出るんですよ。
だから、時々ね、「我は神なり愛と光なり」って何回か言うとね、おまじないじゃないんですけど、背骨がまっすぐになるおまじないだと思ってればいいんです。
そうやって、その事をねずーっと言うんですよね?
そうすると、そういう不思議な現象が起きるんです。
だから、誰かこう背骨の曲がった人がいたら、ちょっと言わしてみると、楽になるんです。
だから何なんだ?とかって言われると、これも困っちゃうんだけど。
そういう不思議なことがあるんです。誰がやっても出来るんです。
心地よい言葉は身体を正常にするんです、癒すんです。
癒す言葉ってあるんです。
それをね、一番身体が硬くなる、何でも頑張らなきゃ、自分の力でとか、人に頼らずに、とか。
言うとね、言えば言うほどね、身体が硬直して硬くなってくるんです。
ホントなんですよ。
治ったでしょ?(女性の人に向けて)
今まで、いくらやっても治んなかった、鍼をやっても氣をやっても……
でも、それの時って頑張らなきゃっていう気持ちが強かったの。
そんなことより、フーッと力を抜いてあげて「我は神なり愛と光なり」って言ってると、自分がもしも神だとしたら、愛と光の人間だったら、どういう生き方するんだろう?人に何を喋るんだろう?なんて考えてるうちにね、治っちゃうんです。
こんなお安い方法ないでしょ。
覚えといてくれるといいな。
それから、我が神なら、人も神なんです。
みんな大切な人間なんです。
それを些細なことで、「あの人高校中退なのよ」とか、それが何なんだっていうの。
誰でも、高校行けば偉いんじゃないの、誰でも大学行きゃあ偉いんじゃないの、みんないろいろ、事情があるの。
道路工事してる人もいるし、家つくってる人もいるの、ペンキ塗ってる人もいるの、いろんな人がいて成り立ってるのね?
それを、学校行ったらいけないって言ってるんじないんだよ?行きたい人は行ったらいいの、ホントは行きたくない人も行ってるのね。
だからね、いろんなことで差をつける、その差をつけてる人ほど、苦しいよ。
人にいちいち、差をつければつけるほど、自分がどんなに下の人間を見て差をつけたって、その人間はその差のことばっかし考えてるから、たいがい人間は下見て生きてないのよ。
自分より、上見て生きてるから、もっと学歴の高い奴、もっといい学校行った奴、もっと金持ってる奴、もっと家柄の良い奴、そんなことばっかし考えてっから、上がだんだんだんだん、重くなってくるんですよ。
重くなればなるほど、背骨に負担がかかってきちゃうの。
だから、差をとるの。差をとればいいの。
この差をとれば、すっごく幸せになれるの。
その中で、自分が真にやりたいことってなんだろう?って。
それを追求してったら、ホントに楽しいことがいっぱい起きるよ、っていう。
ことなんです。
だからこんなもん、何日間もね、座禅組むとか、飯食わないでがんばるような、そんなもんじゃないんです。
それよりも、人に優しく出来る気持ちがあれば、それで十分なんです。
と、いうことで悟りの話、短くてすいません。
終わりま~す。
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