📖「斎藤一人 悩みはなくせる」
巻末〈エピローグ〉より
私は旅が好きです。
観音参りをしたり、神社めぐりをしたり、日々、楽しく旅をして過ごしています。
日本じゅう、いろんなところに出かけるんですけれど、「ここはいい神社だな」というところが、あるんです。
そういうところは、たいがいどこも、境内が掃き清められていて、しめ縄もキレイ、お榊もちゃんとしてあって、大事にされていることが見てとれます。
そのように大事にされている神社は、たくさんの人がお参りにやって来ますし、神さまの威力も強いのだそうです。
もう一度、言いますよ。
神さまというのは、私たち人間の尊敬の念が集まれば集まるほど、力を増すんです。わかりますか?
私たち人間は、天に祈ったり、神仏に手を合わせたりして、神様の力を借りて強くなります。
一方、神さまは、私たちの人間の尊敬の念を、畏敬の念をあびて強くなるのです。
要するに、人間と神さま、どちらもいないといけないのです。
拍手と同じですね。
右手と左手、この二つがパンと合わさって、はじめて拍手ができるんです。
片一方だけでは成り立たないんですよ。
このように、神さまと人間がお互い助け合う関係にあるのは、日本独持です。
外国で、神さまというと、ただ一つの絶対的なる存在なんです。オールマイティー、なんでもできる、万能なんです。そういう完璧な存在を「神さま」としてあがめます。
それと比べると、日本の神さまというのは非常にユニークですね。
日本の神さまには、得手不得手があるんです。
「そんな、自分たちと変わらないようでは、神じゃない」
そう思った人もいるかもしれませんが、そこが実は違うんです。
日本の神さまは得手不得手があるからこそ、自分に苦手なことは「あの人に頼むといいですよ、あちらへどうぞ」と言うんです。
もしくは、一つの神社のなかに、もう一つ、別の神さまがまつられているんです。
だから神さまは自分の苦手なことについては「私は苦手だから、この人がいいよ」って。
日本の神さまのなかでは、ちゃんと役割分担が決まっていて、神さまたちはどっちがエライか、白黒はっきりさせたりしないんです。
そういう神さまだから、日本では宗教戦争とか、なかなか起こりづらいのです。
「ウチが正しい」「いや、ウチが正しいんだ」という言い争いになってしまうのは、お互い、自分たちの神さまがただ一つの絶対的なる存在だと思っているからじゃないかなと思います。
想像と破壊、表裏一体
先日、日本の神さまのことで質問をもらったんです。
「『古事記』を読んでいると、神さまの中に、どうしようもない〝困ったちゃん″みたいな人がいますね。とても神さまとは思えないんですけど」という質問です。
確かに『古事記』なんかに書いてあることは、たとえば、スサノオさんは田んぼをめちゃくちゃにしたり、いろんなものを「ぶっ壊したんだ」って書いてあったりするんですけど、それって嵐を表しているのです。スサノオというのは、嵐の神さまなんです。
だから、たとえば、そんなに台風が来ない地域に住んでいる人たちは、「沖縄だとか、台風が来るところは、たいへんだな」って思うじゃない?
でも、沖縄の人はそういう風に思っていないのです。
「台風が来ないと海の流れがとどこおり、海水がぬるくなって、サンゴが死んじゃうから、台風が来てくれないと逆に困るんだ」って沖縄の人たちは言うんです。
要は、スサノオのおかげで、沖縄のサンゴは守られているのです。
太陽の光が降り注ぐと、川や海から蒸気という“気”が昇っていきます。それが雲になり、やがて雨となって大地をうるおします。
海は、海水が蒸発し “気” が抜けるから、“気” がなくなっちゃう。
そうなったとき、スサノオが出てきて嵐を起こして海をかきまわすんです。
すると、“気” が抜けたところに “気” を混ぜ “気” が戻るようになってるの。
もし、スサノオがいなかったら、海から“気” が抜けっぱなしになっちゃう。
それから、スサノオのきょうだいでアマテラスさんという神さまがいますね。
アマテラスさんは太陽、地上をあまねく照らすのが大事で、その恩恵を我々はいただいているんです。
でも、もし、太陽に照らされっぱなしだとしたら、地球はどうなっちゃうの?っていう話なんですよ。そう、地球は干あがっちゃってダメになっちゃう。
嵐が来ないと、地球の温度はどんどん上昇して私たちは生きられない。それと同時に、太陽も必要なんです。太陽が照っていないと暗くて寒くて、命が絶えてしまいます。
だから、アマテラスさんとスサノオさんは、きょうだいなんです。
二人セットで地球のバランスを保っているんです。
そのことを日本人は昔から知っていたって、これはすごいことだなぁと、私は思うんだよね。
日本の神さまはものすごい
みなさんは、アマテラスさんという神さまをご存知ですよね。
アマテラスさんは日本の神さまのなかでは最高神とされています。
そのアマテラスさんが洞窟の中から出てこなくなっちゃった、というエピソードが『古事記』だとかに記録されています。
完ぺきでない私がこんなことを言うのもアレですが、洞窟の中に閉じこもったのは、すねちゃったのです。
神さまがすねちゃうなんて、そんなのアリですか?って、ありなんです。
だから、自分も、相手も、誰だって完ぺきなことはできないの。
何ができない、かにができない自分と同じように、他人にもできないことがいろいろあるんです。
完ぺきなことはできないけど、みんな、一人ひとり必ず人のお役に立てる “いいもの” を持って生まれているんです。
だから、スサノオさんも、「スサノオは周りじゅうをぶっ壊すじゃないか」って言われちゃうけど、嵐を起こして “気” を混ぜて戻してくれるでしょ。
スサノオさんはスサノオさんで “いいもの” を持っているのです。
雷は「いなずま」ともいいます。
稲の妻と書いて「稲妻」なんですけど、読んで字のごとく、「雷がどんどん鳴ると稲の育ちがいい」とか、「雷の落ちたところはキノコがたくさん生える」とか、昔の人はよく言ったのです。
最近、そういうことが科学的にも証明されてきて、人工的に雷(高圧電流)をピッピピッピってすると、シイタケとか、カイワレ大根とかの収穫量が増えることがわかってきたそうですよ。
昔の人は、科学の力は知らないけれど、自然とともに生きている中で自分たちが雷の恩恵に預かっていることをちゃんと理解していたんですね。
日本人はね、昔から、雷とか、嵐、火山とか、自然のもの、一つひとつを崇拝するんです。山の神さま、風の神さま、海の神さま、森羅万象に神を見るんです。
このような見方を、人に対してもできるといいよね。
目の前に出てくる人、出てくる人、みんな神さまだっていう見方を。
特に自分自身に対して、そういう見方ができると、すごくいいと思うのね。
いいところもあって、悪いところもある “自分” という存在が神さまぐらい、素晴らしいと思えたら、こんなに幸せなことはないよ。
こんな悪いところがある、あんな悪いところがある、そんなことばっかり自分自身に言っていると、自分のことが好きになれなくて、苦しくなってきちゃうからね。
木は長生きだけど、動けない
木は長生きをします。
屋久島なんかに行くと、樹齢何千年もの杉の木「屋久杉」というのがあります。
屋久杉まで行かなくても、木というのは動物と比べて長生きします。
なぜ、長生きをするのかというと、木は動物のように動かないからなんです。
動くと “気” を使っちゃって、消耗するんです。
ですから、動物は動くので “気” を消耗し、早く死にます。
一方、木の方は動かない。長生きの道を、とったんですね。
木は動物と比べたら長生きはできるけれど、動物たちのように飛んだり、跳ねたり、動くことができない。
それはしかたのないことなんです。
みんな、それぞれ “いいところ” もあれば、悪いところもあるの。
もちろん、一人さんにもあります。どんなものにも “いいところ” もあれば、悪いところもあるんです。
その中で各自、自分の “いいところ” を活かして、生きるしかないんですよ。
私たち全員、自分のを役に立てていくしかないんです。
アマテラスさんや、スサノオさんもそうしてるようにね。
日本人は、昔から、そういう生き方をしてきたんです。
まだまだ幸せになれますよ。あなた
みんなね、「自分はこれとこれが苦手で」とか、「できなくて」とかって言うんだけど。
苦しんでる人はね、みんな、自分の欠点がゆるせないの。
ゆるせないのは「完ぺきじゃなきゃいけない」と思われて育ってきちゃったからなんです。
人間は70%で最高、完ぺきは無理なんです。
「完ぺきなフリ」をする人がいるだけなの。
それと、あなたの周りにも完ぺき主義者っていますよね。
完ぺき主義者は嫌われるんです。
なぜ、嫌われるかというと、失敗・間違いを全部、他人のせいにするからなんです。
それをする以外、完ぺきはありえないから。
だから、周りの人が迷惑する。だから、嫌がられるのです。
もっと幸せになりたかったら、「完ぺきじゃない自分」をゆるせばいいのです。
そして、自分は完ぺきじゃないことがわかったら、他人に完ぺきを求めるのをやめたらいいのです。
「これはできなくちゃしょうがないよ」とか、「できないよ困るよ」とかいう観念を疑ってみてください。
「それ、できなくちゃいけないって、ホントですか?」って。
人はそんなに、いろんなことができなくたっていいんです。
大工さんになるような人間は、ちゃんと、それ相応のものを持ってます。
大工さんに向いている人間は大工さんなんです。
大工さんに向いている人間はちゃんと雨漏りをしない家を造るのです。
だから、プロの部分だけ、ちゃんとしていればいいのです。
あとの部分は少々、いろんなことああっても(笑)
他人のことを、あーだ、こーだ、言ったって、しょうがないの。
それでね、特にいろんな才能のある人にはね、いろんな欠点があるの。
自分の周りをよーく見てごらんなさい。ホントにそういうもんですよ。
地球と同じでね。ある場所がうんと出っぱっている人はね、それの反対側が凹んでいて、でこぼこをすべてならすと、全員、総面積は同じなんです。
何かが図抜けてできる人は、何かが図抜けてできない。
逆に、とくにこれといって取り柄のない人というは、まんべんなくできて、ちゃんと、食べていける。ホント、そうなんです。
毎日、会社に行って、雨が降っても、風が吹いても、ちゃんと会社へ行って、ちゃんと仕事をして、サラリーマン生活を何十年と続けていて、っていう、それが取り柄なの。
この「図抜けたところがない」ところが、その人の取り柄なんです。
そうやって、この世はうまくバランスがとれているし、各自、人生ってうまくできているんです。
自分は何ができない、かにができないー完ぺきじゃなくていいんです。
自分のことを許してあげてください。
有史以来この国で受け継がれてきた、日本人の生き方がわからないと、あなたが苦労をします。
あなたは苦労してはいけません。
あなたはもっと幸せになるために生まれてきました。
最後に、オレたち人間はタコじゃない!
「本能に支配されるタコ現象」というのを知っていますか?
別にタコでなくたってかまいません。
イソギンチャクでも、シャケでも何でもいいんです。
たいがいの動物は一生涯かけて、子供を産み育て、死んでいくんだ、という話なんです。
マダコは一生のうち一回産卵します。
産卵後は絶食状態のまま、卵が孵化するまで天敵から卵を守り、そして死んでいきます。
命をかけて守ったマダコの赤ちゃんはどうなるかというと、親ダコと同じように一生に一回産卵を経験して、命をかけてわが子を守って飢え死にするんです。
地球上にマダコという生物が誕生してから今日に至るまで、同じことが延々と繰り返されてきています。
シャケだってそうです。
親のシャケは海から自分の生まれた川に戻ってきて子どもを産み、その川で死ぬんです。
彼らは自身の意思でその運命を変えることができません。
人間も動物です。
ただし、人間には唯一、意思というものが与えられています。
そして人間は、知恵の生き物なんです。
私たち人間は運命を変えることができる、って言いたいのです。
どうやって、運命を変えるんですかって?
細かく言うと、運命の変え方は人によってさまざまです。
ただし、一つ共通して言えることがあります。
それは、自分の魂を成長させることです。
魂の成長というのは、常にそうなんだけれど、魂が求めるのは常に “ちょっと上” なんです。
この “ちょっと” をどのぐらい出すかが、ポイントなんです。
魂の成長が、ふつうより先へ行っている人がいますが、そういう人は、一気に駆け上がったわけではありません。階段を何段か跳んだのでもありません。
“ちょっと上” “ちょっと上” と、いつくも“ちょっと上” を積み上げただけなのです。
あわてる必要はありません。
今、すでにあなたの心の深いところに愛と光がいます。
魂は“ちょっと上” でいいのです。
天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさずー 天の神さまがご覧になっているのは、私が過去に何をしたか、ということより、今をどう生きるかです。
常に、今、ここからが勝負です。
ともに顔晴りましょう。
ありがとうございました。
全国の八幡様の総本社
大分県にあります宇佐神宮の境内に
アマテラスさまとスサノオさま
姉弟でお祀りされている神社があります。
ご神木もありとても波動の高い神社でした。
photo by ピカちゃん先生
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